エッセイ essay


『マラケシュの粋』

 パリがマラケシュのようなのかマラケシュがパリのようなのか、  通りのカフェを覗いただけでは分かりにくい。

あえて違いをあげるとすれば、街路樹にヤシの木が見えることかもしれない。

 

 カフェのテーブルには厳つい男たちの姿があった。気兼ねない会話のやりとりからして仕事仲間か、あるいは幼馴染かもしれない。

 靴磨きの少年がやってきて、テーブルを回りながら客を探していた。ひとりの男が携帯を片手に少年の前に片足を出した。少年は肩にかけた靴磨きの道具を下におろすと、男の靴にブラシをかけ始めた。

 男は少年には目もくれず電話に集中していた。それほど長い時間ではなかった。ポケットから小銭を取り出し少年に渡した。

 少年は再び道具箱を肩にかけると「シュクラン(ありがとう)」と一言いうとテーブルを離れた。

 

 カフェのテーブルにはエスプレッソのカップや炭酸水、グラスに注がれたミントティがあった。どこのテーブルを見ても、ワインやビールのグラスは見当たらない。イスラム圏ならではの光景だった。

 その為、街中に酔っ払いもいなければ酒臭い横丁もない。

 

 下戸の私にとってその光景は粋に感じてならなかったマラケシュのカフェでした。


『葦ペンとの出会い』

 埼玉県秩父市はまわりを山に囲まれ、古い町並みが今も残る、絵になる町です。

 私が訪れたのは、紅葉も終わり、吹く風に肌寒さを感じる頃でした。私は小高い山の中腹から眼下の町を描こうとスケッチブックを広げました。風景よし、体調は万全、申し分の無い写生日和でした。


 「今日はいい絵が描けそうだ」

と思いつつ鉛筆を走らせました。

 二枚、三枚と描き進めるのですが中々思うように描けません。「どうも場所が悪いかな」

「いや、この鉛筆が良くないな」

などと理屈をつけたあげく、描くのをやめてしまいました。

 

 そして釈然としないまま道具をかたづけて帰ろうとしたとき、水辺に並んだ枯れ草が

 

 「オレをつかって」

 

 と、ささやくのです。

 おかしな奴だなあと思いつつ、枯れ草の一本を取りだしペン代わりに使ってみました。これが思いの外具合が良くて、晩秋の秩父風景が描けたのです。

 そうなると風の寒さも心地よくなり、目の前の枯れ草群は黄金色に見えてくるのでした。この枯れ草ペンこそが後に知った葦だったのです。


 それからというものは、秩父に限らず、東北や北海道、スリランカ、マレーシアと、出向くところで現地調達のペンを使いスケッチを楽しんでいます。
 今、私のアトリエには各地で秋に収集した葦ペンや竹ペンが数多くあります。そして今後はこの葦ペンで生計を立てるのもいいかなあと思っている次第です。